2011年3月8日火曜日

『あそび』の文化

今月の春場所の中止につづき夏場所にも開催の是非が、と報道。
そういえば、大相撲での八百長事件が発覚して、はやひと月。
当時TVで見た理事長の会見での、ひとつの違和感を思い出した。

勝敗を金銭でやり取りする。真剣勝負に見せかけ茶番を演じる。
プロとして言語道断。いかなる事情であってもダメ出しは同感。
ただ
人間である以上、勝負のやりとりの中に、己のコンディション、
相手への情などが、微妙にからみ合うことだってあるだろうに
一刀両断 無気力相撲=これ全て八百長 と切り捨てちゃった。
それで よいのだろうか‥、と。

日本には
建築や工業製品の工作にかかわる言葉に あそび があります。
さぼる/怠ける といった、ネガティブな意味ではありません。
たとえば
作り付けられた枠に戸をはめ込むのに、寸法とおりキッチリ戸
を造ってはハマりません。かりにハマっても、戸が動きません。
枠もまた人間の造るものですから、許される範囲で歪みもあり、
戸が開くのにも寸法の余裕が必要でしょう。 それが あそび。

もっと身近なとこでは、自動車のブレーキ・ペダルがあります。
ブレーキ・ペダルを踏込んでも、いきなりブレーキ効きません。
ぷかぷかする あそび の部分。安全な作動にも重要ポイント。

この あそび という発想
社会や個人的な人間関係のうえでも 潤滑油 であるはずです。
なにかにつけ ギスギスしちゃってる世の中。
いまいちど 意識していたいな、と。